仮想と視覚との交渉-フィジカルな環境- 

フレデリック・レヴラット

ARXの過去と現在

複雑なアイデアとシンプルな一致とは相反するものではない。その事は20世紀後半の文化を取り巻く現代の哲学的およびテクノロジー的状況と、世界を探査し交流しようとする好奇心を持ち合わせた4人の若い建築家が遭遇したことが示している。 

1988年に設立されたARXの概念には、これらの二つの条件が刻み込まれている。

マーシャル・マクルーハンが定義したように、観察と実現において、地球を、ニュー・テクノロジーによってグローバル・ヴィレッジというスケールに縮小可能であることの共通認識をARXは持っていた。新しい通信機能の拡張により、複数の個人は異なる場所にいながら同時に対話することが可能となった。この新しいテクノロジーは、複数の場所における非物質化の同時性の機会を提供するものである。スイスからの建築学生の身体は非物質化され、ヨーロッパからニューヨーク、そして大阪へと、同時に移動可能とさせる。これらのグローバルな連続をアクティブに保ちながら、同時に現代世界の複雑さを認識したいという理由で、ARXは探索的かつ概念的なグループとして設立され、イメージと構築が交差する環境に関する異文化間の相互作用の可能性を探求していく。 

グループの創設者(フレデリック・レブラット、山口隆、石丸信明、ヌノ・マテウス)は、テレコミュニケーションの可能性、すなわち一方通行のメディアではなく、リビングルームから別のオフィスへと相方向のコミュニケーションが可能であることに気付いていた。テキスト、イメージ、アイデアを交換しながら瞬時に通信できる。これは、インターネットが開発される以前のことであり、電子メール、共有デジタル画面、ビデオ会議、およびFaceTimeについて私たちが現在知っていることを予期していた。新しい通信手段により、世界はより効率的に通信を行い、スペースは急速に縮小していく。スペースが縮小するだけでなく、潜在的に文化を1つの大きな坩堝(るつぼ)に集約させる可能性を生む。しかし、距離を完全に消去することはできず、図面、言葉、記号の解釈において文化的な「距離」は残存する。われわれの探究は、フィジカルな世界が、コミュニケーションの世界、または非物質的な世界にどれだけ抵抗しているかを明らかにしようとしていた。 

Fig.1 ANY MAGAGINE ARX_FAX

複数の場所に同時に存在することは、スマートフォンやインターネットなどの現代的なツールの概念的な可能性である。それは新しい欲望ではなく、何千年も前に、想像力、ノスタルジア、テキスト、瞑想を通してもたらされた古くて根本的な欲望である。身体は1か所に留まっているかもしれないが、心、思考、想像力が別の場所に移動する可能性があるのだ。 

ARXの活動は、メールやアバターよりかなり以前から始まっており、これから起きることを予見しており、明らかに先駆的で前衛的な運動であった。ARXは、テクノロジーがeverything anywhere anytime(いつでもどこでもすべてのもの)をもたらすことをいち早く理解し、ニュー・テクノロジーによる介在するエージェント、および旧来の空間と時間の解体に魅了された。一方で、われわれは、建築家として、現実のフィジカルな構成において何が残されているのかについて問い続けていた。ARXは、何が可能であるかだけでなく、何が変革的であるかを、そしてメソッドの重要性に考慮しながら探求することを模索していた。現実環境への影響、および資本の分配、新しく接続された環境の社会的、政治的および経済的影響はどうなるのか。情報は伝わったが、シームレスで有意義なコミュニケーションだったのか?しかし、場所の特異性や文化、空間内のフィジカルな身体は完全にはデジタルには翻訳されない。シンボル化されたフォームへのデジタル化は、(複雑なフィジカルなコンテキストから0と1の集約の削減への、または白黒ピクセルへの)あらゆる変換と同様に、常に削減され、受容器としての場所の意味を理解するために抽出する必要があるのだ。

ARXは、場所の文化的特異性と重ねられた交換の可能性のパラドックスを探求し、明らかにしたいと考えていた。建築家として、われわれはメンタルとフィジカルとの間の緊張に魅了された。コンセプト、イメージ、思考を伝えることができたが、素材、テクスチャ、物質的存在、時間と空間の特異性、および物質的特性の重さを伝えることの不可能性も認識していた。言い換えれば、この情報革命において、建築に何が残されるのかを問うことが重要であると理解していたのである。

「ヴァーチャル」と「フィジカル」、または「非物質」と「物質」の間のこの緊張を探求すること自体が、ARXの主要なツールとなった。知的側面だけでなく、異なる大陸間の相互作用を通じて起こった実際の現実。すなわち、ニューヨーク、大阪、リスボン、ジュネーブの間のコミュニケーションは、コミュニケーション実験の基盤であり、フィジカルな面での抵抗でもあり、個としての主体のメルト化でもあった。



ARXの二つのオリジナルなマニフェストを以下に記す。 
ARX ノン-マニフェスト:フレデリック・レヴラット (ニューヨーク) 

今日、情報空間と物質空間、メディア・リアリティと経験、集合意識と個人意識、訓練知覚と触覚知覚という二つの環境の間で発生する対立は、新しいレベルに達している。常に魔法や宗教などの形で存在してきた潜在力は、直接経験する環境よりも大きな影響を与える「情報環境」を生み出した。それらを制御し解放する能力はテクノロジーによって制限されてきた。日常生活のほぼすべての側面に影響を与えるこれら二つの対立は、社会の政治的、社会的、経済的組織を形成する。

建築は「テクトン(技術者)」を組織し、空間と時間の特定の感覚に対処することになっているが、建築の意味と表現も建築の生産において重要である。建築の制作は、表現と素材の両方の表現であり、「多重現実」の条件を考慮に入れなければならない。20世紀初頭の建築家の主な関心事が自然に対する人間の支配であった場合 - 機械化、複製、反復によって達成された- 今日、均質な空間の消失と「リアルタイム」が建築の根幹に挑戦している。

建築が依然として芸術と見なすことができるものであり続けるなら、建築は身体と心の拡張、転位、そして断片化を正確に扱う必要がある。これは、ディスロケーション(脱臼)の確かな喜びを生み出すことによって、または各個人が自身の特異性を再定義できるように、この多様性を再現または再記述することによって達成できる。

現在および未来のアプリケーションにおける建築は、心が制御を可能にさせ、身体が特異性と尊厳を見つけることができるように、これらの問題に対処する必要がある。 



2番目のマニフェストは、山口隆によって書かれた。
主体のメルト化:山口 隆 (大阪) 

主体のメルト化:脱中心化に向けて 

西洋中世における唯一の絶対者は神であった。神はすべてを支配し、絶対的な創造者と見なされた。ルネサンス期、人間は創造主体の役割を神から譲り受けた。ルネサンスは、絶対的な神の否定を通して、中心主義を解体するべき時期であった。代わりに、人間は絶対的な神の地位を引き受ける。最終的に中心主義は批判され、近代の思考の出現に取って代わられた。近代化の更なる過程を通じて、中心化された主体は脱中心化され、溶融し分散していく。 

それでも、多くの建築家はまだ過去の中心主義に固執している。不可能であることを知っていたとしても、過去の残像に固執し、見せかけの中心化された主体によって意思決定をする。 

ARXの意思決定プロトコル-メルト化された主体 

通常の身体速度を超えて、加速された状態で繰り返し通信すること。さらに構成メンバーの間において、formをメルト化させる。 

単なる偶然から相互理解の不完全な見方に移行し、差異と機会による生産性を促進する。 

ARXは、複数論理の概念をさらに一歩進め、この考えを設計プロセスとして確立した。そして、複数メンバーの異文化からの発案を1つのプロジェクトへと重ねた。プロジェクトの結果は、妥協という総合的な産物ではなく、むしろ亀裂、不均衡、差異であり、多文化社会の美しさと豊かさの違いを明らかにしたものであった。 



設立趣旨

ARXは、グループの考え方と戦略を発案するためのクレジットを希薄な状況から得ることができただろう。しかし、われわれは、自身の文化的背景に依存しているため、そうしたことを明確に否定した。私はピーター・アイゼンマンと安藤忠雄と共に仕事をした経験がある。彼らのアプローチは異なり、違ったレガシーについて言及するものだが、二人とも建築は環境に影響を与える可能性があると確信していた。 

以下のピーター・アイゼンマンの発言は強力な影響力を持つ。 

建築は身体の満足に対するものだけでなく、心の豊かさに対するものでもある。 

建築は常に危険な環境から守るものであった。風雨、寒さ、泥、野獣から保護するためのものであった。中世には、他の人間の攻撃から私たちを守るために要塞が建設された。今日、建築は人間の思考の産物から私たちを守るべきものである。

心の豊かさのために、いかに構築するのか? 

アイゼンマン以外の、もう1つの重要な知的源泉は、アクティブな知覚と知覚フィルターの概念を説明した哲学者アンリ・ベルグソンである。われわれは受動的に世界を見ることはしないが、部分的に前もって受け入れ、環境を認識しているので、認識ははるかに効率的である。 

しかし、それは媒介的(または仮想的)環境が私たちの思考プロセスを形成することを意味している。同時に、媒介されていない身体的経験が知覚と思考のプロセスを形成していると言えるだろう。 

コロンビア大学で開催された会議「The State of Architecture at the beginning of the XXI century」で、ラース・スパイブルックは、視覚空間の認知的体験の実験と空間内の視点のフィジカルな活性化の関係について述べた。 



ARXの現在

世界は進化によって、30年後、世界で最初に示したARXの直感は正当化された。インターネットの発展は飛躍的に進み、デジタルテクノロジーの導入は、環境との関係を完全に変えた。

スマートフォンは、文字通りEverywhere All the Time(いつでもどこでも)という情報を提供してきた。しかし、現代において、こうしたデバイスを通じて世界を知る新しいスクリーン世代を導く方向については不明瞭である。 

マーシャル・マクルーハンは非常に早い段階で新技術の力と危険性を理解し、警告を出していた。通信技術が社会に及ぼす影響についての彼の解釈は重要な何かが秘められている。1964年に発表された彼の「war and Peace in the global village」は、集中的な情報流通の危険性について興味深い警告であった。 

最近では、人類学者のユヴァル・ノハ・ハラリは、「私たちの集合的な想像力だけに存在していた神話を中心に組織する独自の力により、人類の種の台頭を定義した。文字通り、私たちが知っているように人類は、宗教、国民国家、企業などの存在しないものを信じることができたため、この惑星で支配的な種になった。」としている。彼が執筆したサピエンス全史において、「国家、宗教、および企業はすべて、大規模な社会組織が一緒に協力することを可能にする仮想構築物である。」と記述されている。 

すなわち、人類は、認知革命以来、以下の二重の現実に生きてきたのである。川、木、ライオンの存在する客観的な現実。一方で、神々、国家、企業の想像上の現実。時代とともに想像上の現実はますます強力になりつつある。今日、客観的な現実の存続は、アメリカとGoogleなどのような想像的存在の恩寵に依存しているのだ。 

言い換えると、ARXマニフェストで表現されるように、ヴァーチャルとフィジカル間の緊張は進化した。現代において、株式市場における法人の格付け評価などのように、フィジカルな世界は、ノンフィジカルな世界からかなりの影響を受けるほど深刻な危機にある。実際、フィジカル環境とノンフィジカル環境のバランスは、新しいテクノロジー・ツールで装置化され、かなり恐ろしい割合を占めてきている。 

たとえば、完全なフィクション世界における有名人の俳優が政治家になる現象である。架空の英雄的イメージは重要な社会的役割において信頼されるのである。例えばアーノルド・シュワルツェネッガー(映画コナン・ザ・バーバリアン、ターミネーター2、3、4、5、世界で6番目の経済規模である州の知事)。 

こうして、強大な地位への選挙のテンプレートが導かれる。環境メディアの構築によって、強大な軍隊の最高司令官となり、世界でも有数の経済やその他の責任を担うことになるのである。

この過去30年間、われわれは真実の証拠に基づかない強大な仮想情報によって、破壊的な戦争が引き起こされるという現実を目撃してきた。それにもかかわらず、これらの情報によって構築された仮想現実は、メディア形式のエコーチャンバーによって正当化され、自己補強される。新聞、テレビ、ラジオ、ウェブサイトを引用し、論理的現実の証拠として、フィジカルな環境に対し、強大で暴力的な影響を及ぼした。イラクだけで約50万人が死亡、100万人が負傷し、400万人近くの難民を生み出した。シリアとイエメンでも同様な犠牲者の数が増加している。

それでは、こうした情報が製造される状況の複雑性に対して、建築においてはどのように対処すればいいのか?

現在、われわれはこうした状況を無批判で受け入れているのだ。建築予算の大部分は、社会や環境に役立つ病院や浄水場の建設ためではなく、オリンピックやワールドカップなどのテレビ放送のための素晴らしい背景を作ることが優先される。なぜ世界で最も人口の多い国の首都が2008年のオリンピックを開催するために必死なのか、巨大で美しい施設は、たったの1か月のお祭りの期間だけのニュースとデジタル・ネットワークの世界に存在するだけである。イベントが終わった後の事は何も考えていない。 

また、ニューヨークのタイムズスクエアのような公共スペースを占有し支配している存在について問うこともなく、都市に侵入するコマーシャルのためのデジタルアニメーションのための巨大なスクリーンと建物の「イメージ」を喜んで受け入れているのだ。 

実際、いくつかの都市のアーバニズムは、イメージとしてのスペースの単純な消費を受け入れてきた。農業がなく石油もほとんどない乾燥した気候のドバイは、確かに夢想のランドスケープを構築し、自身を蘇生させた。イメージや造られたライフスタイルに、抽象的な資本を投資できる場所として。

すべての建設には、名称、ストーリー、マーケティングマネージャー、割り当てられたライフスタイル、そして仮想性がある。この仮想性はメッセージを成文化し、物質性を生成する。たとえば、パームジュメイラである。マーケットに受け入れられるシンプルな名称、プランとしてフラット化された画像は、潜在的な投資家の意識に強く訴求させるものである。建設される前、たった48時間で完売した。いずれにしても、仮想によって駆り立てられるイメージと、マーケティングやプロパガンダおよび視覚化における構築された環境は、現実の世界をつくり出すのに十分な資金を調達することに成功した。サンフランシスコ市より大きいパームジュメイラは5年未満で建設され、何もないペルシャ湾から突如出現したのであった。まさにフィジカルな実体化のジェネレータとしての精神的なイメージである。 

「イメージに住むという事は何を意味するのか?」という事が問題なのかもしれない。

私は、私の大学の学生と一緒に、ドバイのような都市やタイムズスクエアの周辺などを、シニカルな例ではなく、情報の世界と物質的な世界の複雑な重なり合いの具体的な事例として分析した。今日、われわれが「現実」と呼ぶものが、実はフィジカルでありながら、ヴァーチャルでヴィジュアルな領域を包含する多層的環境であることを認識しなければならない。 

ニューヨーク、大阪、神戸、ポルトガルのARXは、このことを認識しており、過去30年間、それぞれ独自の解釈でこうした問題に取り組んでいる。しかし、30周年を祝うARXの活動だけが唯一のムーヴメントではない。 1988年、マーク・ウィグリーとフィリップ・ジョンソンによってキュレーションされたニューヨーク近代美術館での脱構築主義建築の展覧会が開催された。この展覧会はジャック・デリダの哲学的な記述に基づいており、主に情報の複数の層の存在による、複雑性の概念と視点の多様性を採用している。アイゼンマン、レム・コールハース、バーナード・チュミ、フランク・ゲーリー、ダニエル・リベスキン、ザハ・ハディッド、コープ・ヒンメルブラウは、この「disjunction」の概念を提示するのに十分な資格があった。しかし残念なことに、多層的環境に対する彼らの初期の認識は、経済力を持つクライアントの開発意識に吸収されただけだった。メディアに関する概念は、複数のロジックが存在する状況としてではなく、資本家の利益の単純なツールとして使用されたのだった。思想家として、社会的および哲学的な役割に疑問を投げかけるという批判的な立場から、単なる古典的なスターアーキテクトへと後戻りしてしまう。著者という絶対的な単純性へと逆行し、マーケットにおいて認識しやすくするため、古い意識に塗れた著者という名前を取り戻す。こうして、彼らは開発するクライアントの利益率を高めるための画像プロバイダーに成り下がるのであった。 

建築と都市環境の構成に対する新しいテクノロジーの影響に関する別のアプローチが、ウィリアム・ミッチェルの著書に見つけられる。ARXの設立の7年後に、ウィリアム・ミッチェルは、「City Of Bits」、「Space」、「Place」、および「InfoBahn」を出版する。新しいテクノロジーによって物質的な都市が完全に時代遅れになると主張する。その内容は、興味深く、デジタルネットワークによって、われわれは接続され、everything, everywhere all the time(いつでも、どこでも、すべてのもの)にアクセスできるようになるというものである。しかし、現実は理論と異なり、全く逆である。歴史上、これほど人類が都市の中心部に密に住んだことはない。世界の人口の半分以上が都市に住んでいるのだ。これは、人類の文明の歴史において前例のない状況なのである。しかしeverything, everywhere all the time(いつでもどこでも)すべてにアクセスできるのに、東京、上海、またはニューヨークの中心部に住むために、多くの家賃を払うのだろうか?  

この理由としては、情報環境において、データ、ニュース、フェイク・ニュース等で氾濫しているため、情報に無制限にアクセスできるためかもしれない。データをコンテキスト化し、情報を理解し「体験」する場所が必要である。周知のとうり、コンテキストのない情報は無意味である。

21世紀のフィジカル・シティに、われわれは何を必要とするのか?データをコンテキスト化するためのインターフェースとして、フィジカル・シティが必要に思われる。情報を理解するために、瞬時の状況における体験空間とコミュニケーション。フィジカル・シティは、情報をフィジカルに体験する場所になった。これは1998年のワールドカップにおけるパリのシャンゼリゼの写真である。この写真には、市民が通りに出て祝い、テレビで見た情報の意味を理解しようとした事が写っている。

Fig.2 シャンゼリゼ通り

こうした情報のコンテキスト化が、都市の新しい役割であるならば、すべての市民は、空間に関する教育と経験を享受する。それにもかかわらず、教育セクターが、この状況による最も関心があるものであり、高等教育機関がフィジカル・シティに投資していることがわかる。ニューヨークでは、マンハッタンの非常に広大な中心地であるコロンビア大学(NYU)によって都市キャンパスが急速に拡大し、キャンパスと都市の境界が曖昧になりつつある。 

デジタル時代において、私は、フィジカル・シティの主要な機能が、抽象的な情報と物質的な環境との間のインターフェースを提供するナレッジ・シティであるという結論に達した。 

都市が、「経験」という情報へと向かう共同体のためのフィジカルでインタラクティブな建設であるならば、いかに建築のスケールにおいて同様の機能を確立するのか。 

建築は、媒介的体験と個人的体験との間のインターフェースになることができるのか? 

このインターフェースは、現代の建築に非常に重要な機能を提供する。現代の建築は、情報世界とフィジカルな世界との交差点に批評的に出現しつつある。 

情報空間と物質空間の中間のどこかに属する建築を生成できるか?それは、人間の思考の産物からわれわれを保護し、教育するものなのか?われわれの感覚の教育としての建築なのか?、心と身体との間のインターフェースとしての建築なのか? 



AXONOMETRIC CHAIR
Materialization of a Representation

これらの問題を異なる3つのスケールで提案するプロジェクトを簡単に示したい。オブジェクトスケール、空間スケール、および高層ビルのスケールである。 

最初のプロジェクトであるAxonometric Chairは、反転プロセスとしての表象に関するマテリアライゼーションの概念に疑問を投げかけている。フィジカルなオブジェクトを描画するのではなく、オブジェクトの表象を構築し、視覚的な3D構成の2Dでの表象を3次元で抽出している。それは意図的とも言える非常にシンプルな椅子である。それでもなお、読書の慣習と表象に関して受け入れられた文化的コードに疑問を投げかけている。 

私はこの椅子をスイスのベルンにある特許庁に送って私のデザインを保護しようとしたが、申請書は差し戻しされた。役人達は、1つの椅子に関する特許料金で3つのデザインを提出するのかと尋ねた。私は、再度手紙を送り、これら3つの写真は同じ椅子のものであり、異なった方向から見たものであると主張した。すなわちデザインの特異性からくるものであった。それにもかかわらず、彼らは画像が首尾一貫していないと主張して申請書を返却した。言い換えれば、表象に関する、そして擬人化された物質性に関して、複数のロジックに従っているため、イメージを理解するには複雑すぎたのだった。

Fig.3 AXONOMETRIC CHAIR

RELIQ SHOWOOM
Visual Destabilization

2番目のプロジェクトは、マンハッタンの真ん中、37ストリートと7アベニューのファッション地区にあるショールームである。

ニューヨークは効率的なグリッドでよく知られている。効率的な組織化のシンボルである。二次元平面だけでなく、x、y、z座標の直交グリッドにおいても、資本は細分化がおこなわれ、空間を商品として表象する。したがって、重力と資本の論理は空間を規制する。そして、それが無抵抗に受け入れられている事の理解はたやすい。直交空間を経験するために教育を受けてきたので、空間は理解されている。直交する部屋での視覚認識を投影し解釈することによって、部屋の物理的な距離は推定可能なのである。 

このプロジェクトでは、知覚を不安定にする事を求めた。感覚の個人的な理解を強​​制しながら空間を体験しなければならない。折り曲げられたサーフェイスとしての主要な壁を生成することで、平面上だけでなく垂直方向にも角度を付けている。その事で、複雑性が急激に増加し、視覚的な理解を困難にさせる。さらに床、壁、天井、家具に、完璧な白い仕上げが施されているため、全身を使って空間を探索しなければならない。 

実際、多くの訪問者は、壁を手で触れるという触覚的手段によって、壁に沿って歩きながら、視覚的で、メンタルで、フィジカルな様々な理解を交差させ、空間を体験し、格闘し、記録していく。 

Fig.4 RELIQ SHOWOOM

SHAMS TOWER
Resisting Visual Consuption

最後のプロジェクトは、最近開発された新しい島のアブダビにある大きなタワーである。私はドバイとアブダビにいくつかのプロジェクトを計画した。サーフェスとヴォリュームとの関係として、イメージの消費に対する抵抗としてのタワーを考えていた。そこでは、イメージとサーフェスが垂直タワーの主要な条件となり、ハイパーサーフェス、フォールディングなどの概念を探求していった。以上のようなスケールの異なった複数のプロジェクトにおいて、サーフェイスの問題を思考していた。 

敷地は、リーム島の大通りとオープンパークの間のコーナーである。ヴォリュームはコーナーに集結させるなければならなかった。ヴォリュームは最終的に6面の菱形としてまとめられた。興味深い部分は、人は常にタワーを長方形がスイープされたものとして読み取りたいという先入観である。 

このプロジェクトの真の目的は、簡略化されたイメージの消費に対する抵抗であった。視覚空間と物質空間の間、または垂直性と傾いた自己参照的な配置の間に存在するヒエラルキーに疑問を投げかける事だった。言い換えれば、視覚空間と物質空間のヒエラルキーに存在する問題を問うことによって、私は物質環境の究極のパラメーターである重力に疑問を投げかけようとしていた。同じ5つのヴォリュームが繰り返され、それぞれは5度回転している。上部のヴォリュームは地面に対して95度の位置にある。しかし、上空を見ても、理解できないだろう。 

Fig.5 SHAMS TOWER

30年前、ARXは、新しく接続された地球全域とコミュニケーションが可能という理解に基づいて設立された。われわれは情報空間と物質空間の関係、媒介された情報と直接の経験の関係をテストすることができた。 

今日、われわれは建築家やアーバニストとして、情報空間と物理空間とにおけるこうした関係をこれまで以上に緊急に探究する倫理的義務を負っているものと思われる。われわれの職業は、情報環境と物質環境の交差点として戦略的に位置しているのだ。 

フレデリック・レヴラット/Frederic Levrat

コロンビア大学大学院建築・計画・保存学部、ニューヨーク工科大学プラット建築学部で20年にわたり建築スタジオを教える。
1988年、国際的なグループであるARXを設立。現在、マンハッタンでレブラット・デザインの代表を務め、ドバイやアブダビの大胆な大型タワーの設計から、スイスの欧州宇宙機関の研究センター、ニューヨークのバーやレストラン、アフガニスタンでの8つの小学校と12軒の診療所の建設など、国際的に認められた数々のプロジェクトを生み出している。 
現在、現代の都市構成における非物質と物質の関係を探求する出版物「ナレッジ・シティ」に取り組んでいる。